歳の差姉弟世界旅第17弾 ケニア・ナイロビ編

まだ子供が産まれる前、アフリカの大地を体験したパパは「子供が出来たら、その子が思春期を迎える直前に、絶対このアフリカの地に連れてきて、サバンナを体感させたい。」と固く決意。。。そこで頑張ってみいちゃん10歳、はるっち2歳の時にボツワナ、ジンバブエ、ザンビアの3カ国に行ってきました(歳の差姉弟旅第3弾)。その時以来「はるっちが10歳の時にもサバンナ体験に行く」というのが家族お約束に。2020年からのコロナ禍やこのところの原油高、円安によるびっくりするほどの旅費の高騰もあったけど、前からの約束だしと思い切って行ってみることに。アフリカでサファリをするような所までは公共の交通機関もないし、自分で全部アレンジが必須。そこで。。前回もお世話になった旅行社アクティブツアーのHPからコンタクトを取ってみたところ、前回の担当者Kさんからご連絡をいただき、今回もお世話になることに。さて、アフリカのサバンナは決まったけれど具体的にはどこにしようかな、となった時にまずは今回の主役はるっちに希望を聞いてみたところ、海!とのことだったので今回はサバンナ+海にしようと決定。Kさんに相談したところ、サファリで有名な地域に加えてインド洋リゾート地があるケニアもしくはタンザニアがいいのではないかと。特にケニアのマサイマラ保護区は一番たくさん動物が生息している時期だとのことだったので今回はケニアに決定。実は前回も当初ケニアで検討していたところ、隣国ソマリアで頻発していたテロがケニアの首都ナイロビあたりでも起こることがありどうしてもテロの恐怖が払拭できなかったことと、現地での小型飛行機や車での移動がものすごく長いのは大変だなってことで、目的地を変更したという経緯もあったので一度行っておこうということで。というわけで2023年8月5日〜12日まで6泊8日でケニアマサイマラ&モンバサに行ってきました。

事前準備
まずは査証。現在(2023年秋)日本人がケニアに観光で行く場合にはオンラインビサの取得が必須。まずはパスポートの残存有効期限が6ヶ月以上あることに加えて、証明写真とパスポートの表紙とバイオデータのページのスキャン、ホテルの予約確認書、フライトスケジュールをアップロードする必要があるのでこれらを事前に準備しないといけない。これらのファイルはすべてjpeg形式でかつサイズが293kまででないとアップロードできないので注意が必要です。当初ファイルの形式やサイズで引っかかり申請に手間取りました。加えてサイトに何らかの問題があったようでアクセスできたり、できなかったりしたことも時間がかかる要因となりました。本来は申請後メールで可否の連絡があったら自分でサイトからビザをダウンロードして印刷していくっていうのが流れだったのだけど、サイトに問題があってオンラインでビザを発給できないから現地で取得して下さいという偉い人のサイン入りのレターが届いてしまったほど。最終的にはサイトが回復したようでビザがメールに添付されて直接送られてきました。日本のケニア大使館は問い合わせに対してしっかりフォローしてくれて対応も迅速でした。実は一度アップロードする写真を間違えたので電話をしたところすぐにビザの申請済みステータスを申請中に戻してくれてファイルの差し替えをさせてくれました。面白かったのはビザの代金は51USドルだったのですが、作業が大変だったので1日1件ずつビザの申請をしていたら1件ごとに円での請求額が上がっていったこと。円安進行中でした。。。なお、HPに16歳未満の子供で親に同行する場合にはビザの支払いが免除されるとありましたが、親の申請時に同行者としてその子供の情報を追加し、ファイルをアップロードする必要があります(そういう項目あり)。大使館に問い合わせたところ両親と同行する場合父母の両方の申請時に子供の情報を追加するよう言われました。ホントかなと思ったけど言われた通りにパパ、ママの両方で申請して何も言われず入国できました。子供についてはホテルの予約確認書とフライトスケジュールをアップロードすることはなかったので念の為印刷して持って行きましたが、入国時に要求されることはなかったです。パスポート(全員)と印刷したビザ(大人)だけを出しました。
次に保険。海外旅行障害保険は毎回入りますが、今回は旅行代金が我が家では見たこともないほど高額だったこともあり、いわゆるキャンセル保険付きにしました。全額カバーしてくれる保険は見つけられなかったけど3分の2くらいは回収できるものを見つけました。それに加えて、ガイドブックで見かけたAMREF Flying Doctorsにも加入しました。これは僻地で緊急事態(けが、病気)に見舞われた時にナイロビの病院へ飛行機で運んでもらえるというもの。参考までにこの時は1人40USドルだったような。。。

1日目
深夜便のため家を出発するのは前日午後8時45分。この日は金曜日だからパパはギリギリまでお仕事でようやく8時15分過ぎに帰宅。大急ぎで夕食をとりつつ準備をしてなんとか30分後に出発できました。
00:05 羽田発EK313便で経由地のドバイに向かう。深夜便だけど羽田空港は大混雑。まずは両替を済ませてチェックイン。今回はお食事や移動までほぼ全額出発前に支払い済みなので現地で必要なお金はチップと飲み物代くらいとのことでしたが、事前にガイドさんやドライバーさんへのチップは大体3万5千円と言われていたので念の為倍の7万円をアメリカドルに両替したら。。。480ドル💧円安💦そして。。。出国手続きには長蛇の列。最後尾を探すだけでも一苦労。保安検査に到達するまでに30分も。しかも。。。なぜなのかしら、ママは手荷物の化粧ポーチに眉きりハサミを入れていたという大失敗。21年ぶりに眉きりハサミ放棄@検査場前となったのでした。(前もやってたという。。。💦)10時間40分後、現地時間早朝5:45ドバイ国際空港着。乗り継ぎ便まで4時間半もありまだゲートも確定していなかったけどとりあえず、保安検査を通ってゲートを目指すことに。東京からここまでは大半の乗客に倣って私たちもマスクを着用していたけれど、ここではマスク着用率がとても低かったので私たちもマスクを外す。ターミナルA、B、Cのうち、当初はCに陣取ってそこを拠点にターミナル中のショップをウロウロと。羽田空港や成田空港と違って本当にショップがいっぱい。私たちが知っているところだと仁川空港やイスタンブール空港のような充実ぶり。しかも、早朝だというのにほとんどのショップは営業している。結局最終的に私たちの搭乗ゲートはターミナルAだということがわかり巨大ガラス張りエレベーターで下の階に移動した後、ターミナルを繋ぐ電車に乗ってターミナルAへ。多分ターミナルCの方が新しいのかな。。10:15発EK719便ナイロビへ。ジョモ・ケニヤッタ国際空港Jomo Kenyatta International Airportに降り立ってびっくり。東アフリカ1の大国だというのにターミナルがプレハブ。。。どこかに似ているなぁと思ったら昨年カナダで入国時にランダムPCRで引っかかり訪れた検査場でした。。。あとで知ったことですが、どうやら2013年に火災があり、その後このような建物になったようです。入国審査は、サイトへのアクセスができなくなるなどVISA取得に苦労したことと、はるっちについては16歳以下は親と同一日程で同行ならば不要との事前情報(大使館HPを見た上、電話にて追加確認)により取得していなかったこともあり、ここで入国拒否されたらどうしようと若干不安でした。結局誘導の方にパパとみいちゃん、ママとはるっちに列を分けられ、パパとみいちゃんが難なく通過。ママとはるっちに対峙した審査官は当初ものすごく真面目に進行していて怖いくらいだったのですが、途中で掛かってきたケータイ電話に夢中になり、これまではなんだったのかと思うスピードで終了したのでした。それでもケニアの入国時には顔写真の撮影と指紋の登録がありました。(はるっちは写真撮影のみでした)預けた荷物をピックアップしてから出口へ。私たちはなぜか係の人に税関で止まらず出口へと誘導される。機内で配られた通関書類は一生懸命書いたものの結局出番なし。空港の出口で迎えにきてくれることになっていたガイドのCharles Nduatiさん(後にすっかり打ち解けたので本文ではここから先は敬称略で)を探していると。。。

Jomo Kenyatta International Airport
左:入国審査に向かう 右:空港を出たところ、通りの向かいが駐車場

「お疲れ様でございました」。。。とこちらの期待をはるかに上回る流暢な日本語で近づいてくる小柄な男性が。。。ナイロビは治安が悪いと散々心配していた私たちの緊張が一気に緩みました。赤道直下だけど高原だから涼しいというのは本当で、Charlesはカーディガン着用だし、私たちもパーカーを着ていてちょうどよいくらいでした。彼の先導で空港から道を渡った向かい側にある駐車場へ。途中空港前の道に設置されている動物のオブジェなどをスマホで撮影するママを制するみいちゃん。まだまだビビっている様子。ごくごく普通の立体駐車場。特に治安の不安を感じさせる要素はありません。車はNissanのものでした。

Roadside around the airport
空港周辺の風景

空港を出てまず向かったのは出発前から電車好きのはるっちのためにリクエストしていた電車見学のため、2017年5月に開業したモンバサ・ナイロビ標準軌鉄道Mombasa–Nairobi Standard Gauge Railwayのナイロビ駅へ。途中道路脇の草原にキリンが出現。野生のキリンがこんなところで見られるなんてびっくり。駅は空港近くのシオーカマウSyokimauにあるので、空港から市街地に入る前に立ち寄りました。ちょっと寂れたエリアに突然立派な駅が出現。

New Station
左:立派な駅の隣はこんな感じ

その時にはここはナイロビの新駅。ナイロビ、モンバサ間の長距離列車の発着駅で1日に2本ずつしか発着しないと教えてもらったのだけど、後で調べてみると実はケニア鉄道の近郊列車の駅も兼ねていて多分近郊列車の方は走っていたと思われる。それはともかく、セキュリティの関係で構内には乗客しか立ち入ることはできないし、モンバサ・ナイロビ標準軌鉄道列車はこの日の運行をすでに終了していたため、事前に知らされていた通り外からの見学しかできなかったのですが、駐車場に車を停めて駅舎の正面に回るためにも保安検査がありました。空港でと同じく手荷物はX線検査、私たちも金属探知のゲートを通過。外からではホームや電車を見ることはできなかったけれど、駐車場から線路上に停まっている列車を見て盛り上がる。ナイロビの治安にビビりまくっていた私たちがちょっと驚いたのは、貴重品以外の荷物を車内に置いておいても大丈夫だったり、写真を撮るために駐車場の端に1人で行くことも可能だったことでした。

Nairobi Station
左:電車とホーム 中:チケット売場 右:正面入口

駅を出発すると今度は高速道路で都心方面へ。高速道路は日本と同じように立派で料金はETC払いになっていました。車窓の風景で面白かったのは電灯の上などに停まっている鳥が日本ではみたことがないような大型の鳥、アフリカハゲコウというコウノトリだったこと。

View from Freeway
高速道路から見える風景

高速道路がいつの間にか終わり、一般道へ。道はもちろん完全に舗装されているけれど、歩道との境目は土が剥き出しのところも結構あって、乾季で乾燥しているせいか埃っぽく道路のあちこちに土が積もっていました。でも、道路の両脇の歩道は日本で見かけるよりも濃い緑色の葉が印象的な大きな木が並んでいたりして汚らしい感じはしなかった。道には車、乗合バス(マタツ)がいっぱいで結構渋滞している。人の往来もたくさんでとにかく賑やか。一目で都会だとわかるけれど、ガラス張りの最新のビルが林立という感じではなく昔からあるんだろうなという感じ。ナイロビで一番の繁華街と言われるシティセントラル地区のケニヤッタ通りKenyatta Ave.は、この日は週末だったけどスマホで通話しながら歩くビジネスマンがいたり女性が1人で歩いていたり、と普通の都市と変わらない。

City Centre
街の様子。信号で止まった時に撮った写真

Charlesが冷静に「ここから向こうは危険なエリアだから行かない方がいいと言われています、でも私は1人で行っちゃいますけど」などと解説していたのは多分モイ通りMoi Aveの東側のこと。出発前はナイロビはとにかく危険で、車の中にいても外から強盗にあうなどと言う情報も目にしましたが、Charlesから特にそういった注意もなく、窓を開けても、写真を撮るためスマホをかざしても特に何も言われることはなく。比較的安全と言われるエリアでケニア人と一緒に行動する分にはそこまで用心しなくても大丈夫な感じでした。ただし、初日は私たちの方が緊張していてかなり自主規制。なので、国会議事堂や大統領府などなど見どころを通過するたびCharlesが教えてくれるのですが、カメラを構えてない上に車で通過するだけなのでシャッターチャンスを逃す。そういえばナイロビのランドマークとして有名だと言われていたケニヤッタ・インターナショナル・コンベンション・センターKenyatta International Convention Centreもあっという間に通り過ぎちゃった。

Nairobi view from car window
ナイロビ市内車窓から 右:ランドマークと言われるコンベンションセンター

都心のど真ん中からほどなくケニア鉄道Kenya Railways Corporation 近郊鉄道のナイロビ駅に到着。ここはケニア市内の渋滞がひどすぎるということでその解消の一環で2013年からナイロビ、シオーカマウ間の近郊列車が運行開始、現在ではそれに加えてエンバカシEmbakasi、リムルLimuru、ルークニアLukenya、ルイルRuiruへも列車が運行しているとのこと。この時にはナイロビの旧駅と説明があっただけだったのだけど駅の入り口にあった時刻表から近郊列車っぽいな、と推測(後で調べた)。こちらも先ほどの駅と同じくセキュリテイが厳しく、乗客以外は立ち入り禁止ということでしたが、駅員の1人がCharlesの友達ということで入れてもらう。Charlesはその彼にスマホでお礼を送金していた。ケニアではM-PESAというモバイル送金サービスがものすごくメジャーなよう。ここでもしっかりとセキュリティ検査があり、入口で手荷物も人もしっかりと空港同様の保安検査を受ける。

Old Station
左:駅前にはマタツ 中:入口 右:ホームで電車を見学

近郊列車はこの時間も発着しているようでホームにはお客さんと思われる人々が。Charlesのお友達の駅員さんの案内で地下通路の先にあるもう一つのホームに行くと、電車が停まっていて、中に入って写真を撮ってもいいと言ってくれた。街で人々を見てケニアの人たちは足が長いなと思っていたけれど、電車のシートが高めで私たちが座ると足が床につかないという悲しい発見も。そのほかにもホームから見えるところにたくさんの列車が停まっていたのでそれらの写真も撮って大満足。

Trains at the old station
Charlesの友達に案内してもらう

その後すぐ近くにある鉄道博物館Nairobi Railway Musiumへ。ここにはケニアの鉄道の歴史が展示されている。時刻は午後5時55分で、鉄道博物館は午後6時に閉館とのことで、入り口で入館を断られる。が。。Charlesがどこかに電話をかけて粘る。。。その電話の相手が入口の守衛さんとお話しすると。。。入っていいよ。。。となった。。Charlesはここでもスマホでどこかへお礼を送金していたようだ(もしかすると入館料を送金していたかもしれない。本来は有料だけど私たちは何も請求されなかった)。。。博物館にはイギリスの植民地時代に当時の首都であったモンバサからウガンダの首都カンパラまでケニアで最初の鉄道を建設する際の様子やその国際列車で当時使われていた列車、食器、調理道具などの実物や写真の展示が。サバンナに列車を通すにあたってたくさんのインド人が連れてこられた話や人喰いライオンに苦労した話が興味深かった。ところでこの国際列車は当初ウガンダ鉄道と呼ばれていて、1948年設立の東アフリカ鉄道(ケニア、ウガンダ、タンザニア)に引き継がれた後各国に分割され、ケニア部分は1977年設立のケニア鉄道が継承し、2005年からはリフトバレー鉄道がケニア、ウガンダにおける運営を開始したものの2017年に終了したのだそうで、現在は国際列車はなく、ナイロビ発の長距離列車は先に訪れた駅から発着するモンバサ・ナイロビ標準軌鉄道だけで、ケニア鉄道は近郊鉄道のインフラの建設・維持管理と鉄道運営、ビクトリア湖岸にあるキスムの港湾施設の運営を行なっているとのこと。そんな訳でこの博物館にはビクトリア湖の船の展示なども。室内展示場はそれほど広くはなく(3部屋)割とあっさり見学終了。屋外にはウガンダ鉄道(UR)や東アフリカ鉄道(EAR)の蒸気機関車などが展示されていて、実際に運転席に乗ってみてもいいということでワイワイ盛り上がる。この時間の気候は信じられないくらい爽やかで本当に気持ちがよかった。けど、、、ここでみいちゃん鼻血。本人にとってはよくあることで、飛行機やここの乾燥した気候によるものだなと落ち着いていたけれどCharlesはちょっとびっくりしてました。

Nairobi Railway Museum
博物館の入り口はわかりにくく突然看板が出てくる(左)

博物館の見学終了後Ole Sereni Hotelへ向かう。ホテルの入り口へ向かうあたりは建設中のビルがあったり、ちょっとした空き地で住民たちが炊き出し?をしているようなところでちょっと治安が。。。という感じだったけれどホテルに入るにはセキュリティチェックがあり、ホテル内に入ると結婚式でもあったのかドレスアップした人々が写真を撮っていたりと、一気に雰囲気が変わる。車を降りるとホテルのエントランスでまたまたセキュリティチェック。ここでポーターさんが荷物を運んでくれるので、ケニアに来てから初めてのチップを渡す。チップは大体なんでも1ドルか2ドルにしていたけれど、思った以上に渡したり、置いたりする機会が多い。Charlesが一緒に来てチェックインを手伝ってくれた。ケニアではお部屋の定員の問題で、4人で同じ部屋には泊まれないのですが、Charlesのひと押しがあったのか元からなのかコネクティングルームとなりました。ここで明日の集合時間を確認後Charlesとお別れ。お部屋はとてもモダンで綺麗でした。特筆すべきはナイロビ保護区ビューであること!!ワクワク双眼鏡まで使って何度もチェックしたけど結局動物は確認できず。。でもサファリをしていると思われる車のライトは見えた。

Ole Serena Hotel
左:ホテルの裏 中:ロビーの様子 右:保護区ビュー

私たちだけでホテルのレストランで夕食を。スープとパン以外はビュッフェ。基本的にはアフリカ料理というよりはインターナショナルな感じ。ちょっと怪しい海苔巻きなんかもあったり。食事はあらかじめ支払い済みなので、飲み物代とチップだけを支払う。ケニアでは水道の水を口に入れない方が良いというネット情報から、歯磨きもペットボトルのお水を使う生活開始。シャワーの時にうっかり口に入りそうになったり、意外とお水を口にしないのは難しい。ちなみにCharlesからは「飲まないでね」としか言われなかったのでうがいくらいは大丈夫かも。

2日目
朝ごはんは昨日夕食をとったレストランでビュッフェ。今朝は8時15分にCharlesとロビーで待ち合わせ。ロビーに現れたCharlesは私たちに1人1枚ずつマサイの布(アクリル100%!!)をくれました。Charlesがチェックアウトの手続きをしてくれるも、何か問題が。。と思ったら「クレジットカードを持ってくるのを忘れました。立て替えてくれませんか?」と。出発前に全ての支払いを終えていたからホテルももう払い終わってるのかな、と思っていたけど私たちが払わないだけで支払いはチェックアウト時だったようで。。。ここではケニアお得意のM-PESAも使えなかったみたい。当時はまだCharlesともそこまで打ち解けてなかったから、え?騙されてる?と思いつつも他にどうしようもないのでクレジットカードを差し出すパパでした。(後で日本円現金でちゃんと返ってきた)向かったのはホテルから車で20分くらいのところにあるナイロビ南西部の住宅街であるランガタLangata地区。車の中でCharlesにビーズで作ったそれぞれの名前入りのブレスレットをもらう。ここから全員着用。なぜかパパだけ苗字の上、小さすぎて入らなかったけど笑。途中、アフリカ最大のスラム地区として有名なキベラが見える。Charlesに「あの有名なキベラスラムですか?」と言ったら「知ってるんですか?」って驚かれちゃった。ただし、私たちが通った通り(多分Langata Road)からでは外側がちらっと見えただけなので言われないとスラムだなんてわからない感じでした。そして、ランガタ地区に入るとこの日は日曜日だったこともあり、教会に行くと思われる、きちんとした服装の人々が沢山歩いていて、治安が悪いようには見えなかった。Charlesによるとケニアではキリスト教がメインの宗教なのだそう。まずはジラフセンターGraffe Centreというキリンを保護している施設から。着いてみると、何台もの車がスタンバイ。多分欧米からの観光客だと思われる。車を降りてみると、びっくりするほど寒い。。。パーカーの下にフリースを着用していた私たちでしたが、それだけでは寒すぎるとアウターを取り出す。でも、まだ9時前だから施設は空いてなくてゲートの前でちょっと並ぶ。

Graffe Centre
団体客が来る前に by 車の横に立つCharles

ここでのメインアクティビティは保護されているキリンの餌付け。手洗いをした後、小さな容器に入った餌を受け取ったら、柵越しに自由にキリンに餌をあげることができる。みんなお腹が空いているのか、すごい勢いで寄ってくる。キリンの餌付けは以前もしたことがあったけど、その時は人参みたいな長い餌だったから直接舌に触ることはなかったけど、今回の餌はドッグフードみたいな小さなものだったから思いっきり舌と触れ合う。思ったより硬くて、よだれがデロデロ垂れてる割とグロテスクな見た目から想像するより気持ち悪くなかったかも。。

Graffe Centre
特別動物好きでなくても盛り上がる

Chlarlesによると3種類いるキリンの内、ここで保護されているのはロスチャイルドキリンなのだそう。ちなみに他の2つは日本の動物園でお馴染みのアミメキリンとケニアにいっぱいいるマサイキリンとのこと。そういえばここのキリンは私たちに馴染みがあるキリンとはちょっと顔立ちが違うかも

Graffe Centre
後ろに見えるのが高級ホテルGraffe Manor

この施設に隣接しているホテルGraffe Manorではテラスでここのキリン達と一緒に朝食というアトラクションがあるらしい。。。Charlesによるとナイロビで一番高いホテルなのだそう。
次に向かったのは同じ地区にあるカレン・ブリクセン博物館Karen Blixen Museum。ここは昔メリル・ストリープ主演の映画「Out of Africa(邦題:愛と哀しみの果て)」の舞台にもなったところで、その原作となったデンマーク人作家カレン・ブリクセンの住んでいた家がそのまま博物館になっているのですが、私たちは誰もこの映画を見たことがなかったのであまり、いや、全然興味がなかったし、出発前にはなんとかここへの訪問を回避しようと画策していたほど。(代わりに鉄道を見たいと言ったら、鉄道見学が追加された)ここでは来訪者は全員ガイド付きのツアーに参加することになっていたので、英語の説明を聞きながら一通りまわる。映画を見たことがないどころかみいちゃんとはるっちは主演俳優を知らなかったのですが、当時の様子を色々と知ることができ、帰る頃には帰国したらこの映画を見てみようと思うに至る。

Karen Blixen Museum
ガイドさんに促され、おうちの前で記念写真

ちなみにここでもM-PESAでの支払いにCharlesは四苦八苦。どうやらアプリの仕様が時々変わるようで、何か別のアプリを通さないと払えないというような事態になっていたようです。まだそこまで打ち解けていなかった私たちは「また建て替えか?」と笑。今回はCharlesの粘り勝ちでなんとか支払えたよう。
その後、私たちのリクエストで行き先リストに追加された、お土産屋さんに案内してくれました。住宅街にいきなり現れたUtamaduni Craft Centreは2階建のお家が全面的にお店になったといった感じのお店だったのですが、本当にアクセサリー、置き物といった工芸品からTシャツや布などの既製品、コーヒー、紅茶などの特産品までケニアのお土産と聞いて思いつくものが全部揃っているようなところで(個人の感想ですよ)、充実の品揃えでした。お値段については相場を知らないのでなんとも言えないのですが、多分適正価格ではないかと。。。ここ以外では買い物できないかも、という気迫で沢山お買い物をしました。
ランチは観光客御用達と思われるCarnivore Restaurantで。ここでは色々なお肉を焼いたものを次々と持ってきてくれて、欲しいものを欲しいだけお皿に入れてもらうっていうシステムだったのだけど、ママはこの日朝から腸が不穏で、ほぼ前菜として出てきたパンと野菜のポタージュスープだけでやり過ごす。はるっちは元々食べ慣れないものは嫌だなってタイプだし、パパもみいちゃんもちょっと自重気味だったこともあり、ママの不調については朝から言ってあったとはいえ、どんな少食家族なんだってCharlesを少し驚かせてしまったかも。ここで、噂に聞いていたケニア人の優しさが。ママの不調を察知したお店の方が、「大丈夫?お粥だったら食べられる?」と。ここはBBQレストランで本来お粥なんてメニューにないはずなのに。デザートに出てきたアイスクリーム。。。これでパパまで撃沈。みいちゃんはCharlesの分までもらっても(断れなかった💦)なんともなかったから、間違いなくアイス自体には問題なかったんだけど。

Carnivore Restaurant
後ろにいる家族はジラフセンターでも見掛けた、この寒さなのに超薄着

食後、ウィルソン空港Wilson Airportへ移動。道中またキベラを通過したものの、一瞬すぎてまたまた写真を撮りそびれる。さっきと同じく外側しか見えないからテレビで見たことのある風景とは全然違う。空港に着き、ケニア航空のオフィスでスーツケースを預ける。マサイマラに行くセスナ機では手荷物の重量制限が1人15kgまでであるだけでなく、ソフトバッグでなければならないという制限があるけれど、その制限の中で6泊8日分の荷物を作るのは大変だからと、これがスタンダードの対応なのかはわからないのですが、Charlesが、マサイマラでは使わないものはナイロビで預かってもらえるようにあらかじめ手配してくれていました。空港入り口でセキュリテイチェックの後、荷物の重量測定。レシートみたいなペラペラな搭乗券を渡された後はロビーでひたすら待機。私たちの他にも何組も飛行機を待っている。この後のフライトはキリマンジャロ行きとマサイマラ行きとのことだけど、マサイマラへは2機飛ぶよう。私たち以外にもう一組いた日本人のグループは行き先は同じだけど、乗る飛行機は別とのこと。予定表では14時発の1便となっているけど、どうやらその辺はフレキシブルみたい。今回私たちが乗る飛行機は12人乗り。ソファみたいにつながった2人掛けシーとプラスものすごく狭い通路を挟んで一人掛けシートが4列で、操縦席との間に仕切りもないような本当に狭い機体でこれで大丈夫なのかと不安になるほどでした。操縦士と副操縦士が談笑していたので少しは緊張が緩みましたが、45分間のフライト中、離陸前に配られたミントの飴(タッパーが回された)をくわえつつ、酔い止めのせいか眠ってしまったはるっちを除き、みんなして怯えてました。あんまり高いところを飛ばないせいか地上の様子がよく見えるんだけど、安定感がなくて。。。。パパはおもむろに機内誌を読み始めたCharlesを見てちょっと安心したんだって。

Air Kenya
小さい飛行機、中も狭い

マサイマラ編に続く)

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